3/23 23:55~24:25
継続は力だと言う。
ワイはある日突然、眠っていた才能が開花して、万事全てが息をするより簡単に片付けることが出来る超人になるのだと信じて怠惰な日々を貪っている。
しかしそれではあまりにやることがない。
何もない時間というのは存外扱いに困るものだ。
真の自由は張り合いに欠ける。
夏休みには終わってほしくないが、夏休みを終わらせないために何らかの反抗作戦を企画実行し、然る後夏休みの続きを手に入れるという程度のエキサイティングが人の生には必要なのである。
故に私は、束縛を感じさせない程度の楽しい苦行を用意することにした。
一日のうち、30分。こうして何らかの文章を書く。完結しようとしなかろうと。
本来であれば何らかの労働に従事するべきなのであろうが、あれはつまらないし束縛が強い。私がこの世で唯一、束縛されてもよいと思えるのは顔の良いメンヘラ女だけである。死ですら私を縛り付けることは許さない。
だいたい15分が経った。
140字のツイートは一瞬で呟けるのに、いざそれ以上を書くとなると看過できない量の時間を消費させられる。時間は有限なのだ。有意義に使いたい。猫を甘やかすとか。
さて、今日は茶碗蒸しの話をしよう。
先日、我が家には40個の卵が届いた。
スーパーで安売りしてたからおばあちゃんが買ってきたのだと言う。
10個入りを5パック購入したが、祖母と祖父の二人だけの家庭では1パックされば十分なので、お裾分けに来たらしい。裾分けも何も、4/5じゃこっちが本体になるだろうが。
期限は2週間。そうじゃなくてもまぁまぁな量の卵は冷蔵庫内を圧迫する。
可及的速やかに胃へと処分しなくてならない。
最初はオムレツの練習がし放題だと前向きに捉えることにしたが、3回目で飽きた。そもそも、フライパンがもうダメになっているので、どうやっても綺麗に巻けないのだ。これは技量による問題では解決できないとして、この訓練は早々に凍結された。
オムレツという一見簡単なのに難しい料理に敗北した私は次に、一見難しそうだけど意外と簡単な料理に挑戦した。
それが茶碗蒸しである。
この料理、火加減とかいうめんどくさい要素を介さず作れる。
いや、ちゃんと加熱する時間を気にしないとあっという間に硬くなるらしいが、30分くらい蒸器に放置していればいい感じにぷるぷるしてくれる。
問題は味つけの方だ。
茶碗蒸しの味は出汁の良し悪しで決まる。
汁物に分類されているのも伊達ではない。
だが、今回茶碗蒸しに挑戦したことで、私は出汁が如何に偉大であるかを知った。
特に、生のしいたけの旨味の凄まじさをだ。
きのこは60~70度の間でうまみ成分がよく出るらしいのだが、
おっと時間が来たようだ。
今日はここまでにしよう。