地獄のような町、熱海

人々は何故熱海に行くのだろう?

何を求めて、熱海へと行くのだろう?

温泉? 海水浴? グルメ?

一昨日、昨日、今日と私は熱海にいた。

だが熱海に、そんなものは無かった。

ただそこにあったのは、昭和の臭いを色濃く残す寂れた温泉街と、何故かロープウェイチケットとセットで入場券が売られている熱海秘宝館だけだった。そして、げに恐ろしきは秘宝館である。

 

秘宝館の最盛期は1970〜1980年代。昭和で言えばだいたい50年代前後のあたりだ。

私はピチピチの20代であり、その頃にはまだ生まれてすらいなかったので、当時の世相がどんなものだったのかは全然わからない。だがネットで少し調べてみたところ、同時期に流行していたものとして、巨大迷路やなめ猫おニャン子などが挙げられるらしい。

なんというか、こう、すごく昔って感じがする。そもそもベルリンの壁が崩壊してない。ゲーム&ウォッチファミコン誕生の瞬間。うる星やつらめぞん一刻の連載がリアルタイムで読める。素晴らしい。絵に描いたような昭和ではないか……!

このシンボリックな昭和の時代を代表する観光スポット秘宝館、その最後の生き残りが熱海には存在していたのだ。

 

伝聞でならともかく、自らの五感で秘宝館が何たるかを知った人間が、日本には何%ほどいるだろうか。そして秘宝館に一度足を踏み入れたことのある者なら分かることだが、その伝聞の情報すら、撮影録音が厳然と禁止されている秘宝館では、多く広まることはないだろう。まぁ仮に公然と広まっても、目を背けられたり耳を塞がれたりすることは容易に想像できるが。

 

秘宝館の入り口に立っている掃除のオジサンは気さくだ。気さくに秘宝館への入場を勧めてくる。人懐っこい笑顔で嬉しそうに秘宝館の事を話してくるオジサンには親しみを覚えた。

だからというわけではない。

だがつい、私は秘宝館の中へと入ってしまっていた。

 

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撮影どころか模写すら固く禁じられている秘宝館では、内部の画像を手にすることは出来なかったが、正直わざわざ写真で見せられても反応に困る、しょーもない展示物しか無かったので、ここらへんは別に惜しくは無い。

中学生男子、或いは高校生男子の中でも卑猥なネタが好きな者を探す。ソイツの教科書を開き、そこに書いてある落書きを見れば、秘宝館内部の展示物のイメージはだいたい掴めるのだ。そう、あれは正しく潔癖かつ純真な中学生女子に向かって、ア行とナ行を連続で唱えてみてとかいう低俗な悪戯をしかける男子中学生のような、そんなレベルの発想であった。

性が下品なのではない。

ただ秘宝館展示物は、その性の扱い方があまりに下品だったので、きっとこの館を作った人間は定期試験でも32点とか26点とかしか取れずに、特に女性教師の担当する教科の回答用紙に至っては卑猥な落書きを添えて提出するような、そんな中学生時代を過ごしたに違いないと確信させるようなセンスに満ち溢れていた。

 

果たしてイメージ通りだったのか、それともイメージが先行しすぎて幻臭を嗅いでいたのかはわからないのだが、やはり秘宝館の中は変な臭いがした。嗅いだことのない臭いだったので言語化することは難しいのだが、酸っぱいようなカビ臭いような、長い間閉じられ続けた空間の臭いがした。

 

展示物として浦島太郎と一寸法師のパロディAVが垂れ流されているのを見た時は笑ってしまった。ボタンを押すとギミックが動くタイプの展示物は全て押す部分が乳首を象っていたし、回すと人形がダンスを始める仕組みのハンドルにも、デザインもへったくれもないような形で申し訳程度に乳房が生やされていたのも、仕事の雑さに苦笑させられた。

 

さて、熱海での記憶として秘宝館の事ばかりを挙げるのはどうなのかと思うが、しかし秘宝館の在り方はこれが中々どうして表象している。

時代に取り残されて寂れてしまったが、それをどうにかするだけの目新しい力は内側には無く、温泉街には所々に廃墟が目立ち、観光業従事者に年若い者は見当たらない。路地を進めば、飲食店より風俗店のが目立つ始末。温泉街なら温泉に絞って推していけばまた立場も纏めやすいだろうが、さして大きくもないビーチやプールも設置されていて、観光をするにも頭一つ抜けた名所は思い浮かばない。インパクトだけでいえば、秘宝館が一番話題性があるのではないか。

観光地が落伍していく様を、まざまざと見せつけられてしまった。

地獄のような町、熱海。

 

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滞在は前述の通りに2泊3日。

ホテルの夕食はバイキングであったが、ステーキの味がわりと残念だった。焼き過ぎで肉が硬くなってしまった上に、冷めている。

じゃあもうローストビーフでいいじゃねぇかと思えば、ローストビーフは既にある。ローストビーフを用意した上で肉を焼くなら、もう少し凝ってくれ……!

でもデザートコーナーのパウンドケーキを、溶けかけたバニラソフトに浸して食べたのは美味しかったので、それなりに満足はしている。バニラソフト、コンビニやちゃちな飲食店以外ではあまり食べられないし、食べ放題もできないし。

 

3日目、ホテルをチェックアウトして熱海駅へと向かう。だが、バスは観光地にしては些か致命傷なのではないかと思うくらいに本数は少なく、炎天下のなかで時刻通りにやってこないバスをしばらく待つことになった。ICカードの使えないバスに、お釣りの出ないぴったりの代金を支払って降車すると、熱海駅から北へ帰路についた。

 

新宿駅に着いた時、私は安心した。溢れかえる雑踏と雑多な喧騒。陽射しを照り返すビルのガラスに、足裏に熱を伝えてくるアスファルト。決して快適ではない。だが、そこは令和を迎えた世界だった。平成どころか昭和から時間が止まったままの、あの寂れた温泉街から帰ってこれたのだと安堵した。緑生茂る岬の上に建つ秘宝館はもう無い。

東海道線及び小田急線は、私にとってデロリアンとなった。

 

 

 

さよなら、熱海。

そしてもう二度会うことはない、熱海。 

空間は時間を演出しうる。

昭和と共に熱海は過ぎてゆく。