10年後のビジョンはありますか?

10年後がどうなっているのかを予測するのは難しい。というか無理だ。企業の採用選考で聞かれることもあるだろう。仮に我が社に入ったとして、あなたは10年後どうなっているのか、どうなっていようと思うのか、どこまで考えていますか?と。

この問いに対して正確な未来予想を立てようとするのは不可能である。自分は課長になっていてー、二児の子を持つ暖かい家庭を築いてーとあやふやな、過程をすっ飛ばして最終的な結果のみを願望として語ることは、夢のある人間なら大抵可能かもしれないが、ビジョンとはそういうものではない。もっと見通して、見透かしていなくてはならない。そしてこれは、就活生や木っ端社員に対してだけでなく、企業経営そのものにも同じ問い掛けを行うことができる。

再度言うが、この10年後のビジョンの問いに対して、今よりもっと企業の収益規模を大きくしてー、社員数も二倍三倍に増やしてーと目標だけを答えるのは無能のすることである。未来の話をする時に重要なのは結果ではない。過程の方である。

M&Aで業界内の下請けの中小企業を吸収して自社内の流通の力を底上げしていくとか、他業界の企業と提携してマーケティングの開拓をするとか、具体的な行動方法を示せてこそのビジョンの意味であり、"何になるか"ではなく"何をするか"を考えなくてはならないのだ。

より分かりやすいように考えるとすれば、小学6年生に「10年後、自分はどんなふうになっているかを想像してみて?」と聞いてみるような状況をイメージしてもらえるといいだろう。

この時、お医者さんになっていたいとか大学院に進みたいとかクラスの○○ちゃんと就職を機に同棲を始めたいなどということを答えるのは、将来の夢の範疇でしかない。それは実現可能かどうかを問うているのではない。実現するための方法、過程のイメージを持っているかどうかの違いだ。

お医者さんになるために医大に通い、医大に通うためにある程度の高校に入る必要があり、またある程度の高校に入るために中学ではそこそこの学力を手にしていなければならない。こんな具合に考えられていれば上々だろう。さらに中学で勉学に励むために現在小学生で習ったことがの総復習をしているとか言われたら褒めてあげたくなる。まぁ早くても24歳でしか医師国家試験をパスできないらしいけど。

何になるかよりも、何をしたいかが大切だ。そして、何をしたいかよりも何をしているかが重要となってくる。

故に、10年後のビジョンはありますかと聞かれて答えるのに最悪、10年後がどうなっているかなんて分からないから10年後に何したいかはその時の自分次第と言うのは悪いことではない。ただしそれをビジョンとして成立させるためには、10年後がどんな世界になっていてどんな目標を立てて生きているかはわからないけど、どんな状況になろうとも可能な限り対応できるような能力を身につけていきたい、というフォローの考えが必要条件となる。目標を持たないとはあらゆることが目標となりうる、ある意味で最も重い目標でもある。今は将来の夢とかは無いけれど、いつか夢が出来た時にそれを実現できるよう、それまでの怠惰が理由で後悔することのないよう、とりあえず今から勉強や運動などの努力をしていくつもり……の精神だ。

結局のところ、10年後のビジョンとは真に10年後のことではなく、10年後に繋ぐための"今"を考えさせる質問なのだ。故に、この問いを投げかけられた時には、10年後にこうなっていたいからこうしていくつもりだし今はこんなことをしている、というような形の回答を返したいし、返して欲しいものである。